せいしんのタマシイ

俺の頭の中

『願い』を叶える為に『対価』を支払った話

皆さん「ホリック」という漫画を知ってますか?

主人公の四月一日君尋が、偶然入った「願いを叶える店」の店主、壱原侑子が人の願いを叶えるのをお手伝い(?)する話なんですけど、その漫画の中でよく使われる言葉として、『対価』という言葉が出てきます

『願い』を叶えるためには必ず『対価』が必要だと、それがどんなものであれ、願いを叶えたければ、それ相応のものを、願う者は失わなければいけないということです

漫画の中に出てくる『願い』と『対価』はややこしすぎて例として挙げにくいので、私がオリジナルの例を挙げるとすれば、「映画館で集中して映画を観たい」という『願い』を叶えるためには、「映画館に足を運び、料金を払って、携帯をマナーモードにする」という『対価』を払わなければならないというようなことでしょう

さて、今回は、私が『願い』を叶えるために『対価』を払った話をしたいと思います

 

私は小学生の頃、なんでも完璧にこなせなければ我慢ならない性格でした

完璧主義っていうんですかね

勉強は完全に完璧にして全教科全テスト100点じゃなきゃ嫌でした

委員会の仕事も言われた通りのことをきっちりやって、とにかく完璧にやることを大切にしていました

スポーツは普通に苦手だったので、自分で「ここまでならいけるやろ」のラインを決めて、自分の中での完璧を目指しました(今思うとスポーツに対する態度が一番健全だったんですが)

 

しかし、中学生になるとそうもいきませんでした。教科書の内容を覚えるだけでは解けない問題や、そもそも100点をとらせないためだけのとんでもなく難しい問題など、今までの定石がどうしても通じないテストたちに俺は心を折られました

委員会の仕事や体育系の難易度がそこまで変わらなかった分、勉強で100点をとれなくなってきたことは、間違いなく私のストレスになっていきました

どうしても妥協したくないところで妥協が必要になったんです

完璧主義を「克服」するために私がしたことは「まあいいか」と思うことでした

 

テストでいい点とれなかったな…「まあいいか」

 

授業の内容が理解できなくなってきた…「まあいいか」

 

模試の結果がよくない…「まあいいか」

 

委員会の仕事をちゃんとやれなくて怒られた…「まあいいか」

 

部活でいい結果を残せなかった…「まあいいか」

 

もう勉強以外のところまで「まあいいか」が侵食してきたんですね

私の『願い』は「完璧主義から解放されること」。それに対する『対価』は「向上心」でした

それからはもう何もまともに頑張れなくなりました

私がブログを書き始めたのは「何かコツコツやれること」を探した結果なんですが、それもいつ急にやめることになるかわからないですからね

ブログ書くのもやめちゃったら私は何を頑張れるんでしょうか…

 

まあいいか