今思うと、公開当時に観に行こうと思えばいけたのかもしれない。この映画には短編版と長編版があり、短編版はアイカツ!シリーズの(未だに)最新作「アイカツプラネット!」の劇場版と同時上映だったらしい。筆者は「プラネット」をリアタイし、最終回のメイキング映像でまさかのバカ泣きをキメたので、時間があれば観に行っていたことは十分考えられる。しかし当時筆者は受験生、必要最低限の映画(?)しか観に行っていなかった*1。しかも長編版の公開時期は共通テストから二次試験までのいっちゃん重要な時期。当然観に行けるはずもなく………*2。
そもそも、アイカツ!をリアルタイムで観ていた当時は小学生、それも妹の横でなんとなく観ていたので、星宮いちご、霧矢あおい、紫吹蘭の名前と、データカードダスのゲームだったこと、それから1話の展開と観たときの感動くらいしか覚えているものはなかったので、その時に観に行っていてもちゃんと今回のように感極まることができたのかどうか自信はない。そう思うと、大学生になってから狂ったようにアイカツ!を観続け、178話を無事完走して少し経ったこのタイミングの再上映は、ただただありがたいとしか言いようがない。本当に、ありがとうございました。
それにしても、10年とはあまりにも長い時間である。筆者は小学生時代から今まで、たくさんの人と出会い、別れ、いくつもの道を選んできた。その時、必ずしもアイカツ!がそばにあったわけではない。しかし、ここ最近のアイカツ!一気見により、アイカツという言葉の意味がもはやアイドル活動の略としての意味だけでなく、自分が見た夢をかなえるために何をするかということにかかってくるということを実感し、生きることこそがアイカツなのだと感じるようになった。たとえアイドルでなくても、自分があこがれた光に少しでも近づこうとする努力があるなら、それもまたアイカツなのである。
この映画は、まず星宮いちごたちが今までアイカツをしてきたスターライト学園を卒業する話から始まる。卒業式とは、確かに学校生活が終わる節目となるが、「アイカツ」がそこで終わることはない。むしろ「卒業式を経たうえで自分にできるアイカツ」が始まる節目ともいえる。そこでソレイユの三人はそれぞれ別のアイカツをすることを決めた。特に霧矢あおいについては留学を決意し、それによってソレイユが三人そろうことができなくなり、ソレイユとしての活動が停止する。この三人の絆は計り知れない。同じ場所に一緒にいることはだれにでもできる。しかし離れた場所でも一緒にいられるのは、とてつもなく強い絆で結ばれた相手だけである。人にはそれぞれのアイカツがある。
今のアイカツが、未来へとつながる。今の選択が未来への道を作り、いつか過去からの道筋になっていく。そしてその道筋が時にだれかの希望となり、バトンが渡され、光り輝く線となり、また道になる。
人がどんな夢を見て、かなえるか、そしてどんな夢を見せるか、そのすべてがアイカツである。
私のアツいアイドル活動、アイカツは、今も続いている。これからも続く。
あっそうそう、19歳のらいちくんに絡むユリカ様よかったよね
これは世の酒飲み全員に言っておきたいんだけど、19歳はお酒飲んじゃダメなんだよ